祐遍和尚は”赤面法印”の名で知られています。その由来に次のエピソードがあります。
「祐遍和尚は生まれつきの美男子で、彼の姿を見ると町の娘や人妻にいたるまで恋心を寄せ、托鉢の衣の袖を引く始末であったそうです。そこで祐遍は、これでは仏道修行も成り難いとし、ある日ひそかに大釜にお湯を沸かして、煮えたぎる熱湯を頭からかぶり、見るも無惨な顔になってしましました。その後、祐遍とは知らず、その僧を見ると、娘たちや若妻たちはその焼けただれた顔を見て、あざ笑っていました。しかし後日になって、その真相を伝え聞いて女たちは仰天し、なかには自分の浅はかさを恥じ、黒髪をぶっつり切って、仏門に入った女もいた。」そうです。これ以降町の人たちは祐遍を赤面法印と呼ぶようになり、法印もますます修行に専念して学徳すぐれた高僧になりました。
もうひとつ祐遍堂にまつわるエピソードがあります。祐遍は願成就寺の第五世でしたが、第六世重翁に仏法を授け伝える時、「自分の亡き後は、どこか新山寺の近くに白い煙を立てるから、そこを墓所にしてくれ」と言い残しました。寛永四年(1627年)8月3日、その新山に一条の白煙が上りました。そこで弟子たちは遺言どおり、この地に墓碑を建てました。それが”祐遍堂”です。
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