○中ノ尾の砦址
 日南市飫肥町板敷中ノ尾の嶺上にあり、高さ五十余丈、旧飫肥城を眼下に見る要害の地です。
 日向地誌によれば「日向記を按ずるに
文明十六年甲辰十一月、伊東祐国が一万五千の兵を率いて都於郡より飫肥に出馬した。飫肥城主島津忠広は兵を中ノ尾に出してこれを防いだ。
二月二十四日義祐が攻めてこれをとった。
十六年丁未七月、義祐は重ねて中ノ尾を改めて築いて根拠とした。
十八年巳酉四月二日、島津氏は大挙して来て飫肥城を援く。二日の寅ノ刻、暁霧の深く鎖した中から不意に攻め登ってこれをおとした。城将伊東治部少輔、稲津四郎左衛門以下二百余人が戦死した。
永禄元年戌午十二月二十三日、伊東氏の兵と島津氏の兵は板敷田間で戦った。伊東祐梁は中尾よりはせくだり、瞬く間に薩将楢原長門守、春成兵庫の守ら十三人を斬った。その後も島津と伊東が飫肥城を争うときにはこの地を根拠とした。」とあります。

















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