○小米桜
小米桜ができるまで
 昭和24年飫肥中学校設立当時の校長であった押川氏の、飫肥中学校の伝統として存在感あるものをつくりたいという願いから始まりました。
 そこで当時理科と女子の体育を担当していた田中京子先生が、女子だけが参加できる創作ダンスをつくりました。
小米桜の名前の由来
 田中先生が飫肥をイメージしたところ、"桜"がでてきたそうです。そこで当時の教頭が桜の中でも小米桜がいいだろうと思い、小米桜と名づけました。曲は青い風というものを使用しています。
小米桜の衣装
 服装は白いブロードの布でつくられたユニフォームに、紺色のちょうちんブルマーをはいて、裸足で踊ります。
 また、竹を曲げたものに、ピンクと白の花(和紙?でつくります)をたくさんつけて踊ります。

 ※現在は体育服の上にスカートをはきます。
  図は上から、できた当時の衣装、現在の衣装、道具となっています。
  道具は白い花を分かりやすくするために、背景を暗い色にしています。
  また、円で示しているのは花だと思ってください(笑)


小米桜の復活
 小米桜は一度途切れましたが、昭和60年に地域の方々が自分の子供たちにも踊らせたいという思いから復活しました。
 





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